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アートひと口メモ  パウルクレー

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2020年01月25日

アートひと口メモ  パウルクレー

パウル クレー

アートひと口メモ  パウルクレー

写真は、鈴木雅弘の作品「BLUE BIRD」

パウル クレー      1879年~1940年   ドイツ人の父とスイス人の母
      ドイツ ミュンヘンブフゼーに生まれる。
1898年  9月 ベルン私立高等学校を卒業 10月にドイツミュンヘン美術学校に
1901年  秋  イタリアからベルンへ旅行し 線画と版画を主体に、独学を始め自然表現に目覚める
1906年  6月 ミュンヘン分離派展に「インベンション」エッチングの連作を出品し注目を集める
       ミュンヘンに住居を置く
1914年  チュニジア旅行をして 抽象的な色面の組み合わせと記号的表現の統合とする独特な画法を進展
1919年  4月バウハウスの教員になる。この頃、水彩から油彩に
 バウハウス  「構成主義 」 機能や関係を数学やテクノロジーに関連させ、生命的な形態を克服しようと
         現代の、技術社会に相応しい造形芸術を模索する実験の最前線。クレーは誠実に対峙した。
1933年  ナチスの圧力によってバウハウスは閉校になる。

クレーは表現主義(青騎士)からスタート
「一方の目で見て一方の目で考える。繊細な精神と、幾何学的な精神を一身に備えた画家。
レオナルドダヴィンチに繋がる画家」と評された。緻密で繊細な作風で、自己の作品のデーターを正確に
把握する事で、自己の芸術の軌跡を逐一辿り、検証する為の一助とした。
律義で真面目であると同時に独特のユーモアのセンスにたけていた。あらゆる未知のもの風変わりなものに
対する感受性を持っていた。ユーモアは独特で、心暖かく機知に富み少しの意地悪も含めた。
大変な動物好きで、洒落た言葉遊び好きであった。
バウハウスの閉校後は、故郷のベルンに移住し1940年6月29日に生涯をとじた。
そののち息子フェリックス・クレーの優れた貢献と尽力により、ベルン美術館の中にパウルクレー財団を置き
作品は収蔵され、世界各地に紹介されることとなった。